生死と向き合っているホームレスの言葉は重たい。人は見た目で判断される生き物だ。


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川越は、散歩をするのに適している場所だ。古い建物や新河岸川沿いには美しい風景が残っている。桜並木が有名で「川越桜まつり」の時期には多くの人が集う。

2015年4月16日 川越の新河岸川沿い

自分と向き合う時間を作るために、リラックスできる空間を作ることは大切である。そのために、何も考えずに散歩をしたり、気の向くままにデジタルカメラのシャッターを切ったりする。

2015年4月16日 新河岸川の桜並木

今日はそういう時間を作ろうと、川越に足を運んだ。残念ながら桜はほとんど散っていた。水面に浮かぶ、桜の花びらが少し切ない。

野良猫と出会い、親切な駄菓子屋のおばさんに話しかけられた。

2015年4月16日 伊佐沼の野良猫

そして、ベンチに腰かけながらボーっと景色を眺めていると「お兄ちゃん、いくつだ?」とホームレスのおっちゃんにも唐突に声をかけられ、それから何気ない会話を交わした。しばらく経ち、「人とまともに会話をしたのは久しぶりだよ」と言われ、私は考え込んでしまったのだ。

ホームレスは、世間からゴミ同然の扱いをされるらしい。やがて無視されることになれ、人に話しかけようと思うこともなくなると言っていた。(なぜ、私に話しかけてきたのかという疑問は残るのだけれども)

かける言葉が見つからなかった。「僕もジーパン履いてパーカー着て、パーマ頭で茶髪で髭面です。この姿で一般企業のオフィスをうろついていたら、同じような扱いされると思いますよ」と言ったら、笑ってくれた。まだ笑えるだけよかったなと少し安心した。私は、買ったばかりの飴玉を分けて、ホームレスのおっちゃんと別れた。

明日、食えるか食えないか、冬を越せるか越せないか、という状況下で生死と向き合って生きている人の言葉は重たい。住所と携帯電話すら持っていない人は、どうやって再出発すればいいかのか。正直、犯罪を繰り返して一生刑務所で過ごすほうが幸せなのではないか。

色々と考えさせられる有意義な時間を過ごせたのだが、リラックスするどころか心のモヤモヤは増えてしまった。何に対して腹立たしいのかはわからない。ただ、やっぱり人は人を見た目で判断する生き物だということを思い知らされた気がする。

文章にすれば何かすっきりすると思ったのだが、そうでもなかった。偽善者ぶったり、意識高い系の人間ぶったりするつもりは毛頭ない。書いた文章を消してしまおうと思った。けど、このエピソードを記録しておくために残しておくことにした。

何かをすると、何かが起こる。久しぶりにあてもなく出歩いた刺激は少々強かった。

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