
日本人は無宗教だといわれている。
だが、日本人は宗教的な行事を当たり前のように行なっている。
子どもが生まれると神社でお宮参りをし、七五三のお祝いも神社で行う。
葬式は仏式でお墓もお寺にあるという人が多いだろう。
キリスト教の行事であるクリスマスも毎年祝う。
かく言う私も、観光でお寺にも神社にも行く。
でも、自宅には仏壇も神棚もない。
私のように特定の宗教を信仰している意識を持っていない人は多い。
一方で、宗教的な行事や行為を生活に取り入れているのも紛れもない事実。
日本人が無宗教と言い切るのは少し違うような気がする。
日本は統計上、無宗教を自覚する人の割合が多い国である。ただし、無宗教は無神論を意味しないため、習慣的に宗教的行為を行っている人も多い。また家がある寺の檀家であるため、本人の意識にかかわらず統計上仏教徒として扱われている場合もある。
仏教=ブッダの教え
日本人にとって馴染み深い宗教といえば、やはり仏教だ。
仏教とは、文字通り「仏の教え」のこと。
仏とは「ブッダ」のことを指す。ブッダ=お釈迦様。
釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の開祖である。
ブッダの本名は「ゴータマ・シッダルータ」。
紀元前5世紀頃、古代インドのルンビニーで当時の釈迦族の王子として生まれた。
ブッダは「なぜ人は生きるのか」と思い悩み、29歳のときに家族や跡取りの地位を捨てて出家。
35歳のときに村娘のスジャータから捧げられた乳粥を食べて体力が回復した後、菩提樹の下で端座し、ついに悟りを開いた。
心の迷いがなくなり、世の中の心理を知ることを仏教では「悟りを開く」という。
ゴータマ・シッダルータは、悟りを開いて以降、ブッダと呼ばれるようになった。
ブッダの教えはアジア各地に広まっていき、日本でも主たる宗教として仏教は根づいている。
神道=日本独自の宗教
日本人にとって馴染み深い宗教はもうひとつある。
神道(しんとう)だ。
神道(しんとう)は、日本の宗教。山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。
仏教と比べ、神道という言葉を口にする人は少ない印象。
だが、古来より伝わる日本独自の宗教は神道である。
神道は6世紀に仏教が日本に伝来する前から存在。
日本人は正月になれば神社へ初詣に出かけるし、子どもがいれば七五三も祝う。
いずれも神道の行事だが、宗教を意識して行っている人は少ないのではないだろうか。
日本人は、当たり前のように神道の行事を取り入れているので自分が神道を信仰しているという感覚がない。
神道は、大自然のあらゆるところに神々が宿っているという多神教の宗教。
日本には四季があり、海、山、川など豊かな自然にも恵まれているという背景がある。
一方で、自然の恐ろしさもよく知っている。
日本人には自然によって生かされているという感覚があり、自然に感謝する習慣が昔からある。
神道の信仰対象は山や木、岩など多神教。
これが「八百万の神」といわれているゆえん。
自然に感謝するという習慣は神道によるものなのだ。
仏教と神道はまったく異なる宗教。
だから、神棚にお寺でもらったお札を飾ってはいけない。
「食べ物を粗末にしてはいけない」という心理は神道の考えが根づいているから。
日本人は宗教とそれほど縁遠いわけではないのだ。